なぜか鏡に「お前は誰だ」で精神崩壊?有名都市伝説は嘘か事実か?

鏡の画像 その他

「鏡に映る自分に“お前は誰だ?”と
言い続けると精神が崩壊する」

こんな話を聞いたことがあるでしょう。

これは有名な話で、TVでも取り上げることがあります。

わりと有名な都市伝説の類です。

にしても、精神を壊す方法。

そんなのメディアが広めていいのか?

鏡があれば誰でも簡単に試せちゃうんですからね。

自殺幇助みたいにならないのかな。

どこか噓臭いとされている、この話。

「そんなことあるもんか」

そう思うからTVでも笑い話にされるのでしょう。

しかし、これはかなり危険な行為だとも言われています。

実際に脳や心にダメージを負わせるリスクも秘めているのだとか。

安易に試すことはオススメできません。

鏡に「誰だ?」と問うことで、脳はどうなるのでしょう?

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鏡に「誰?」は本当に危険だった!

「鏡に映る男に問いかけよう」。

はマイケル・ジャクソンのMan in the mirror』。

差別や貧困を見て見ぬふりする自分に、「それでいいのか?」と問うんだ!

マイケルらしい意識高い歌ですね。

「鏡の男」=自分に「意識を変えろ」と歌っています。

今回は「お前は誰だ?」と誰何する話。

歌のように、意識に変化が起こるというのです。

「お前は誰?」で脳が混乱?

自分の顔は誰でもよく見ます。

洗面所やバスルームには鏡が当たり前にある。

ガラスに映ることもあります。

そこにあるのは一番知る顔。

自分自身であることも理解しているでしょう。

“俺の頭はこんな薄くない!”と
思うことも多々あるんですが……

例の都市伝説は、その自分に「お前は誰だ?」と問う。

自分に向かって「誰だ?」と訊くのも滑稽な話。

それでも敢えて問い続けるわけです。

しばらくすると、脳が混乱する。

というのが理屈です。

まあ、自分に「誰だ?」って状況からしておかしいですからね。

不思議な感覚はするはずです。

その不思議に、脳が拒絶反応を起こすらしい。

「ゲシュタルト崩壊」というものです。

ゲシュタルト崩壊で自分が他人に?

ゲシュタルト崩壊もよく知られた反応です。

見慣れた文字なども、じーーっと見ているうちに、
「あれ?こんな形だったっけ?」
と違和感が拭えなくなるといった現象。

どこかおかしい気がするのに、どこがどうおかしいのかわからない。

経験のある人も多いでしょう。

「形あるものの全体性が失われ、知覚に狂いが生じる」というもの。

誰にでも起こる生理現象です。

「Gestalt」はドイツ語で「形」の意味

「お前は誰だ?」と問うことで、ゲシュタルト崩壊が進むと考えられます。

すると、自分が違うもの、つまり「他人」に思えてくる。

自分が見知らぬ侵入者に見えるというのです。

そこで「恐怖心」が芽生えます。

鏡に知らない人間が映るなんて、ホラー映画の定番ですもんね。

それが自分自身。

いや、他人のような自分。

じゃあ自分は誰なの?

落語の「そこつ長屋」みたいなナンセンスな状況。

精神崩壊は大袈裟としても、「あれ?あれれ?」とはなりそうです。

しかし、こんなこと本当に起こるんでしょうか?

人によっては危ないこともある!

「鏡の自分に誰かと問う」。

これは鏡があれば、誰にでも試せること。

実際にやってみた人もけっこういるようです。

その結果をみると――

「なんともなかった」という人もいれば、
「おかしな感覚になった」という人もいる。

個人差があるんでしょう。

暗示にかかりやすい人は、混乱しやすいのかもしれません。

『Man in the mirror』のように、鏡の自分にハッパをかけられるのなら、逆に人格を破壊させることもできると思うのです。

だから、やってはいけない。

「お前は誰だ?」というのは、自己否定に繋がるのです。

心が壊れないまでも、ネガティブにはなります。

精神は体調にも影響を及ぼす。

悪口ばかり浴びせられたら、誰だって心身ともに参ります。

鏡に「誰だ?」はそれを検証する行為なのです。

やってみたい気持ちはわかるけど、やる価値があるとは思えません。

精神崩壊はまるっきり嘘でもないようです。

心穏やかでいたいなら、やらないほうがいい行為。

やめておきましょうね。

ところでもう一つ、この話は「鏡」がキーアイテムですよね。

「鏡」を使うことで、「本当っぽく」思う気がするんです。

そこには「鏡が怖い」と感じる心理が働いています。

そう、人は鏡に恐怖も覚えるのです。

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なぜ鏡は怖い?鏡が狂わす心理

鏡の画像

多くの動物は、鏡に強く反応します。

映った自分を敵だと思っちゃうんです。

そして攻撃を加える。

人間はそうはなりません。

鏡の理屈がわかっているからです。

「鏡なんて光を反射しているだけの板」と理解している。

でも、本当にそうでしょうか?

鏡の向こうは別世界なのか?

鏡はオカルトの定番アイテム。

恐怖演出の小道具です。

これは「鏡が怖い」という心理が誰にでもあるからだと考えられます。

日常的によく見る鏡。

そこに映るのは、鏡の対面にある光景。

平板なのに、その奥にも世界があるように見えます。

吸い込まれるように感じませんか?

鏡はどこか「異世界」とか「非現実」への入り口を思わせます。

不思議なことに、ガラスに映っている場合は単なる反射と思う。

鏡ははっきりと見えるため、
「奥行き感」というか、「横穴感」というか、
「その先がある」気がするのです。

だから境目が曖昧で、繋がってるみたいに見える。

この感覚は大なり小なり、皆あるんじゃないでしょうか?

そして、あまりにも正直なのが鏡の特に怖いところです。

鏡は人に忖度しない!

人は現実を「自分が見たいように」捉えています。

脳の認識には、主観がどうしても入る。

そのため、現実をやや歪めて見ているわけ。

しかし、鏡は違います。

どこまでも正確に、うんざりするほど残酷に、世界を映している。

いわば「理想」と「現実」ですよ。

その「ずれ」が違和感になる。

……もっとお手柔らかにお願いしたいです……

鏡というのは平常でも違って見えるのです。

普段は「こんなもんか」で済みます。

多少ブサイクでも薄毛でも納得はしますよ。(一応)

うん……妥協は大事だよね……

でも、見続けていると、違和感は大きくなる。

「お前は誰だ?」をしなくても、鏡像は「なんか違って」見える。

自分が他人のような気がし、別世界の風景に思えてくる。

そこが怖いんです。

鏡に関する都市伝説は多い。

誰もが「鏡の魔性」を感じている証しかもしれません。

そういう道具は、気分的にも「ノリ」やすく、ダークサイドに陥りやすくなります。

現実押しつけられるのも嫌だし、鏡はあまり覗かないほうが無難かもですね。

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まとめ

鏡の自分に「誰だ?」と問う話。

僕はずいぶん前から知っていたと思います。

息の長い、出来のいい都市伝説なのでしょう。

とは言え、精神崩壊は完全なデマとは言い切れません。

ゲシュタルト崩壊でおかしな気分になり、身体にも悪影響が及ぶ可能性はゼロではないのです。

まあ、なんにしても健全な遊びではないでしょう。

鏡が持つ神秘性に引き寄せられ、のめり込む場合もあります。

試そうなんてやめて下さい。

僕は自分の顔を長く見ている自信がないので、絶対にやりません!

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