このサイトのタイトルロゴには「クモ」が描かれています。
多少雑なのは僕の手描きだから。
そこで、ふと気になったことが。
「アラクノフォビアの人を驚かせているのではないか?」
『クモ恐怖症』です。
スパイダーマンの映画もあるので、差し替える気もないのですが、ちょっと心配したりして。
「クモが嫌い」「虫が嫌い」はわからなくもありません。
でも、アラクノフォビアは「ただの嫌い」じゃない。
発作まで起こすのです。
その嫌いレベルの原因はわかっていません。
クモ嫌い、虫嫌いの心理を考えてみます。
アラクノフォビアについて
とにかく「クモが怖い」というアラクノフォビア。
世界中で知られ、全人類の3~6%ほどがそうだといわれます。
「私もクモ苦手だし、アラクノフォビアかも?」
そう思う人もいるでしょう。
クモ嫌いとアラクノフォビアの違いは?
それはクモを見たときの症状のようです。
アラクノフォビアの症状
アラクノフォビアは、クモがスイッチになる恐怖症です。
本物のクモはもちろん、クモの巣、クモの画像、クモを思わせるものすべて。
例えば、当サイトのロゴのクモのシルエットもだめ。
1mmもないゴミのようなクモにすら反応します。
ハチやアリに対する恐怖症もあります
心拍数は跳ね上がり、呼吸困難に。
泣いたり、悲鳴をあげる。
気を失うこともあるそうです。
つまり、セルフコントロールができず、完全なパニックになる。
ここまでになるクモ嫌いは、そう多くないでしょう。
アラクノフォビアはれっきとした病気なのです。
治療法はあるのでしょうか?
アラクノフォビアの治療
恐怖症は心の病です。
治療法はたったひとつ。
「クモに慣らす」という頼りないもの。
これはいくらか効果があるようです。
恐怖に慣れて克服する。
虫嫌い、ヘビ嫌いなども同じことですね。
治療というより、トレーニングに近いでしょう。
最近はバーチャルのクモを見せる治療もあるらしい
一般的な治療はこんな感じ。ちょっと楽しそう(笑)
アラクノフォビアのクモに対する恐怖心はハンパありません。
「こんな小さいクモのなにが怖いの」
「毒はないから平気だよ」
「クモは害虫を食べてくれる益虫なんだよ」
そんな励ましはむしろタブー。
鬱の人に「頑張ろう」が禁句のように、アラクノフォビアに「怖がるな」はいけません。
しかし、そうじゃない人から見れば、かなり「面倒くせ~」のも事実。
「クモが嫌いな臆病者に、なぜこんなに気を遣ってやらなきゃならんのだ」
そう思うのも人間ですよね。
アラクノフォビアの人も、それは感じているのです。
自分でもなんとかしたいのに、クモがどうしても怖い。
そんなジレンマに苦しむのがアラクノフォビア。
クモ嫌いは、進化の途中で生まれたともいわれています。
クモが怖いのは過去の記憶?
まだ人間がサルだった頃。
危険な毒グモは、生命を脅かす恐怖でした。
人間となり、クモの脅威はほとんどなくなったけれど、クモへの恐怖が記憶に残っている。
アラクノフォビアの心理として、よく挙げられる説です。
でも、僕はイマイチ納得ができません。
爬虫類嫌いは恐竜時代の記憶だの、
高所恐怖症は樹上生活の頃の記憶だの、
何万年もトラウマが受け継がれるものなんでしょうか?
人間は環境に適応する動物です。
クモがそれほど危険じゃない知識も持っています。
いくら本能的な部分に刻まれた恐怖でも、
そこまで引きずるくらい弱い動物とは思えないのです。
僕は恐怖症は記憶じゃないと考えます。
怖いものは「純粋にそれが怖いもの」だからです。
ヘビも、高い場所も、そしてクモも、人間に恐怖を与える質があるから。
クモが持つ「恐怖の質」がわかれば、アラクノフォビアはともかく、クモ嫌いくらいは治せるかもしれません。
人はなぜ虫を嫌うのか?
クモをはじめとする虫は、あまり好かれません。
「気持ちが悪いから」
「小さくて、素早いから」
「足がウニウニ動いて嫌だ」
「毒とかばい菌がありそう」
「まとわりついてくる」
こんな理由が考えられます。
虫と人の大きな違いを認める
虫はヒトとはまるで違う。
同じ進化体系の中にいるとはとても信じられません。
あの口、あの足、あの腹はいったいなんなんだ?
形から色から、すべてがブッ飛んでいます。
そして、あの動き。
体が人間と違うのだから、僕らの想像を超える動きになるのは当たり前ですが、かなりホラーです。
小さく速く動くのも不気味。
しかも、動きが予想できず、こっちに向かってきたりする。
動物は人間も含め、「自分と似たものを仲間と認識」します。
逆に言えば「自分と違うものは敵」。
人と虫はあまりにも違いが大きい。
恐怖を覚えるのは当たり前でしょう。
虫嫌いは受け継がれる
社会的な嫌悪も存在します。
「みんなが嫌いだから嫌い」というものもある。
だいたい虫は誰にでも評判が悪い。
周りがそうである場合、嫌悪感が刷り込まれてしまうのです。
これは「子供の頃は虫が怖くなかったのに、大人の今は怖い」にも当てはまります。
虫は動きが面白いし、子供は興味津々でしょう。
でも、成長するにつれ、虫は気持ち悪いと刷り込まれる。
虫に手を出そうとする子供を止める親もいます。
そういう知識や経験が蓄積され、虫嫌いになるのです。
虫嫌いを克服するには?
上記のことから、クモ嫌い、虫嫌いを克服するには、
・違いを理解する
・自分の考えを持つ
ということになると思います。
「虫は変で当たり前。みんなが嫌いでも私はそうじゃない」
そうなれればいい。
好きになれないとしても、家に侵入した虫を退治するなり、外へ出すなりできれば、安心ですよね。
クモ一匹に脅え、対処できずに部屋にも入れないのでは困る。
人間様として情けなくもある。
これは簡単なようで難しい。
価値観はなかなか変えられないもの。
『虫愛(め)づる姫君』という昔話が参考になるかもしれません。
平安のナウシカ?虫愛づる姫君
『堤中納言物語』は古くからある日本の短編集です。
作者も編纂時期も不明。
堤中納言なんて人物さえ登場しないのに、なぜこのタイトルなのかもわからないという怪書。
おそらくは平安時代から伝わる物語を、室町~江戸初期の頃にまとめたんだと思う。
『虫愛づる姫君』はその一つです。
どんな話かというと――
姫君はとにかく虫が好きで、虫の名をつけた供の者たちと昆虫採集の毎日。
お気に入りは毛虫。
手の平に乗せて、いつも愛でていました。
当然、周囲の人々は「気持ちの悪い姫だ」と嫌悪を示し、笑い者にする。
両親もほとほと困り、虫好きをやめさせようとする。
「そんなことでは良い宮廷婦人にはなれない」というわけ。
対して姫君は
「私は外見ではなく、内面の美しさで判断する」
「人も虫も、本質が大事なのよ」
と、他の女性のようにメイクやスキンケアをろくにしない。
そんな姫君に興味を持った貴族の男が一人。
「せっかく可愛いのに、化粧もしないとは残念だ」
恋文を送ってみる。
「ありのままの私、恥ずかしいこともないわよ」
あっさり振られてしまうのです。
特に落ちもなく、虫好き少女の日常系みたいな話。
現代の『ナウシカ』や『アナ雪』に通じるところもある。
解釈としては
「外面ばかり気にし、貴族のテンプレートに沿った生き方しかできない時代に、自分の信じる道を貫く女性」
といったところでしょう。
人の目が気になって、自分らしく生きられない現代人にも耳の痛い話じゃないでしょうか?
虫は小さき者たち。
彼らのほうが「人間怖いよ」なのです。
堂々と、冷静に対応し、数をこなせば、恐怖心も薄れるのだと思います。
まとめ
アラクノフォビアから虫嫌いの心理を考えました。
理由の大半は「違い」と「誤解」。
とはいえ、「嫌い」という感情はどうしようもない。
まずは、「落ち着いて撃退できる」「一人で対処できる」ところまで頑張ってみましょう。
虫、クモのいない場所には人も住めません。
遭遇しないわけにはいきませんからね。
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