「多様性」が叫ばれる世の中にも「嫌っても許される」存在があるようです。
ゴキブリなんかはその代表でしょう。
ほとんどの人はゴキブリ嫌い。
その憎悪たるや、「親でも殺されたのか」と思うほど。
たいがい虫は不人気だけど、嫌われ度でゴキの右に出るヤツはいません。
これほど嫌われるのには理由があるはず。
そんな一銭にもならないことを考えるのが僕は好きなのです。
巨大ゴキブリの記憶とも言われますが、辻褄が合わない。
その理由は、どうも「ゴキブリ側」にも「人間側」にもある気がします。
ゴキブリ嫌いはトラウマ?
ゴキブリが嫌われる理由で
「人類の祖先が、古代の巨大ゴキブリに食べられていたから」
と唱える人がいます。
“三つ子の魂百まで”とも言うし、幼児期の体験はトラウマになりやすい。
「先祖の記憶がDNAに刻まれているのだ!」
なんとなく納得してしまうような。
でも、そんなデカいゴキブリがいたのか?
巨大昆虫の時代が本当にあったのです。
大昆虫の時代があった!
今から約3億年前。
古生代の石炭紀と呼ばれる紀元です。
石炭紀は、植物と昆虫が大繁栄した時代。
植物が吐き出す酸素で、大気の酸素濃度が上がり、その高酸素で昆虫が巨大化した。
地層から植物の化石(石炭)がよく出るので石炭紀
石炭紀を代表する虫といえば、
3mのウミサソリに、
3mのヤスデ アースロプレウラ、
翼長1m近くのトンボ メガネウラ。
他にも、1mのセミ、50cm超のカゲロウなどがいた。
まさに「デカ虫時代」。
で、人類の祖先を食っていたというのが、
「アプソロブラッティナ」です。
アプソロブラッティナは、ゴキブリの直接の祖先ではないのですが、形態がよく似ており、同じような生態と考えられています。
古代のゴキブリみたいなもの。
50cmのゴキブリといわれています。
だいたい新聞紙の1ページのサイズ。
その大きさなら、子ネコぐらいは襲えそう。
ところが、このアプソロブラッティナの大きさは約5cm。
家のゴキ(4cm)と変わりません。
大きくても10cmは超えなかったらしい。
現在までに見つかっているゴキブリの化石で、もっとも大きいものも10cm程度。
あれ?50cmのゴキブリはどこにいっちゃったんでしょう?
「ゴキブリ50cm」は嘘?
50cmのゴキブリは、勘違いが流布しているだけらしい。
誰かがアプソロブラッティナの大きさ「50mm」を「50cm」と間違えた。
ゴキブリは小さくても強敵。
「それが50cm!」と人の恐怖心を煽ったんでしょう。
いつの間にか事実化したんですね。
アプソロブラッティナがいた3億年前は、
まだ哺乳類と呼べる生物はいませんでした。
食われた記憶なんてあるわけない。
だいいち、トラウマなら同じ哺乳類の犬や猫や猿だってゴキブリを怖がるはずです。
猫なんかゴキブリに関しては人間より勇敢なのに。
では、巨大ゴキブリなんていなかったのか?
そうとも言い切れません。
大きなゴキブリはいたか?
昆虫を巨大化させた、石炭紀の高酸素。
その状態はけっこう長く続きました。
2億年前の頃は落ち込んだものの、恐竜の時代でも今より高かったのです。
ゴキブリはその頃からいた。
高酸素の世界で、ゴキブリだけが大きくならなかったとは考えにくい。
それはどのくらいの大きさでしょう?
現存するゴキブリで最大なのは、
オーストラリアの「ヨロイモグラゴキブリ」。
体長8cmで、体重も30g以上。
名前の通り地中に棲むので、家に入ることはないです。
たまには侵入もあるようですが。
ゴキというかセミの幼虫みたい。
ヘビー級ではあるけれど、人間の脅威にはなれそうにない。
この2倍くらいのゴキはいた可能性は高いと思う。
20cm弱。
僕はこの辺が限界だと思うんですが、
50cm級のGがいたかもしれません。
いても不思議じゃない時代です。
それでも、トラウマにはなっていないでしょう。
ゴキブリへの嫌悪感は、心理的な問題だと思います。
ゴキブリと人間は永遠のライバル!
ゴキブリの嫌なところは、挙げれば切りがない。
- 人家に出る。
- けっこう大きい。
- 素早い。
- 人に向かってくる。
- 油ギッシュ。
- 長い触覚。
- ギザギザした足。
- 生命力がハンパない。
- 色合いが可愛くない。
ゴキにも都合はあるんだろうが、
よくもここまで嫌われ要素を揃えたものだと思う。
当然「みんなが嫌い」になるから、
「ゴキブリは嫌うべきもの」と刷り込まれる。
そうやって全体的な嫌悪感は強化されてゆくのです。
こうなるとイメージアップは望めません。
ゴキブリという名前も悪い。
「御器(食器)をねぶる(舐める)」
「御器をかぶる(かじる)」
が語源らしいですが、濁点の具合とか、日本語らしくない語感がなんか怖い気がしません?
「サラナメ」とかだったら心象も少し良かったような……。
ゴキブリは人間社会の染み?
身近である、というのもマイナスです。
ゴキブリは本来、自然にいるものですが、そこに街ができた。
多くの昆虫が消えたのに、ゴキブリは街に適応して居座り続けました。
「このまま追い出されては昆虫の名折れだ!」
と思ったのか、人間社会に対してレジスタンスのように潜み、時に悪さする。
自然にいれば、人目にも触れず、嫌われもしなかったでしょう。
人間にしてみれば「屈しなかった敵」でもある。
「拭いきれなかった染み」とも言えるかな。
だから「怖い」し「腹が立つ」。
ゴキブリ嫌いは積年の恨み!
ゴキブリを駆除するとき(他の害虫・害獣もそうですが)、人はどこか自分が「正義の味方」のような感覚を持つものです。
「ゴキなんか無残に殺して当然」みたいな。
それだけ人は、ゴキブリを絶対悪に認定している。
正義は時に、人を悪魔に変える……。
特に現代は、寛容でない時代。
昔なら「まあいいか」と許容できた「些細な不快」も、徹底的に叩き潰す。
敵と位置付けられたらもう終わり。
人間社会と共存の歴史が長いゴキブリは、
あの不気味な姿と生態から、敵という意識が代々受け継がれてきたのでしょう。
「なぜゴキブリだけがこんなに嫌われるのか?」
何億年も前に食われたトラウマじゃありません。
文明史の数千年の間に積み重なった「敵認定」の意識だと思います。
余談ですが、北海道にいる僕はゴキブリにあまり馴染みがない。
小さいチャバネゴキブリがたまにいる程度
でも、学生時代は東京にいて、ずいぶんゴキには悩まされました。
嫌なヤツだったけれど、なんというかコソコソした卑屈さが「自分と似ているな~」なんて、妙なシンパシーを感じたりして。
ちょっと懐かしくも思うのです。(再会はしたくないが)
まとめ
ゴキブリが誕生して約3億年。
やがて人類が現れ、共存が始まりました。
以来、この嫌な虫と長~いお付き合い。
未だ、というかこれからも友好は築けそうにありません。
でも、「屈しない敵」がいるのも、悪くない気がする。
すべて駆逐できたら、人は傲慢になるだけでしょう。
「おい人間、あまり調子に乗るなよ」
ゴキさんたちは、そう言っているのかもしれない。
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