戦争には悲惨な出来事がつきものです。
1945年の「ラムリー島事件」も、
戦時の悲劇として世界的に知られています。
「多くの日本兵がワニに食べられた」という事件。
史上最大の獣害として、ギネスブックにも記載されています。
しかしこの事件、確証が実は乏しい。
戦時の話には仰々しい尾ヒレがつくことも多い。
実話というよりも、「伝説」「俗説」「風聞」の色が濃い事件でもあるのです。
まず、なぜワニに襲われたのか?
事故で襲われたとしても、数百人もがワニの餌食になるなどあり得るのか?
多くの犠牲がでたことも解せない。
一人襲われれば、他の兵士は逃げるでしょう。
ラムリー島事件は、敢えて「死地」ともいえる場所に向かわざるを得なかった結果なのです。
いったい何が起こったのか?
語られる事件はどこまでが事実なのか?
探っていきたいと思います。
ラムリー島事件の解説
ミャンマー(当時はビルマ)の南西に位置するラムリー島。
南北に60km、幅も広い部分で20kmもある大きな島で、大阪府や香川県よりやや小さいくらい。
島といっても、陸からは100mほどしか離れていません。
1945年の1月。
この島が激闘の舞台となります。
日本軍がワニの沼に向かう!
ラムリー島は重要地でした。
当時、イギリス領だったインドの連合軍と、東南アジアに進出していた日本軍とが、ぶつかる位置にあった。
1944年に日本はインド侵攻の「インパール作戦」が大失敗。
イギリス・インドの逆襲に遭い、なんとかラムリー島を死守していました。
その翌年、英印軍が島を本格的に攻撃。
日本軍は分断され、1000人ほどの部隊が、島の南部で孤立してしまうのです。
降伏を勧める英印軍。
しかし、日本軍は10km以上離れていた北の部隊と合流して、退却することを選びます。
たった10kmとはいえ、そこは密林の島。
その途中、ワニが棲む湿地帯を越えてゆかなければなりません。
闇を裂く悲鳴!犠牲者は1000人!
島にはイリエワニがたくさんいました。
イリエワニについては後で説明しますが、人を襲うこともあるワニです。
それは両軍とも認識していました。
だから、英印軍は「逃げ場がないのだから投降しろ」と言い、日本軍は「まさか沼を渡るとは敵も思うまい」と裏をかいたつもりだったのかもしれません。
でも、これは無謀でした。
戦地では血の臭いが充満し、ワニは興奮していたでしょう。
闇にまぎれ退却する1000人の日本兵。
ところが、イリエワニも夜行性なのです。
イギリスの記録では、湿地帯から一晩中怖ろしい悲鳴が聞こえていたといいます。
むろん、ワニに襲われ死にゆく兵士の恐怖に満ちた声です。
闇の彼方から聞こえてくる、無数の人間の断末魔の悲鳴を想像してみて下さい。
これには敵の兵士も震え上がったそうです。
翌朝、英印軍に捕らえられた日本兵はわずか20人。
彼らの証言から、ワニに襲われ、多くの兵士が死んだと見なされたのです。
犠牲者は1000人近く。
史上最悪の獣害事件と記録されることになった。
それにしても、惨劇を引き起こしたイリエワニ。
いったいどんなワニなのでしょう?
イリエワニとは?
イリエワニは南アジアからオーストラリア北部にかけて広く生息しています。
海を泳ぐことができるワニで、
過去には日本にも漂着した事例がある。
現在は数を減らしているのですが、戦時中ラムリー島にはかなりの個体がいたそうです。
巨体で獰猛な人食いワニ
イリエワニは全長が4mほど。
大きいものは6~7mにもなる大ワニです。
未確認ですが、8m超の目撃もあります
動きは敏捷。
咬合力は2000kg。
ウミガメですら軽く砕いてしまいます。
ワニ類の中でも特に凶暴な種といえるでしょう。
そんなイリエワニには人食いのケースも数多い。
近年にも、フィリピン・ミンダナオ島に7mにもなり、3人を食べた「ロロン」というイリエワニがいました。
悪名高いワニです。
このワニなら1000人もの日本兵を襲って殺したといわれても信じてしまいます。
しかし、日本の記録は違っているのです。
ラムリー島事件の真相は?
イリエワニの襲撃で壊滅した日本の部隊。
ところが、日本の記録にはこの件は記載されていません。
それどころか、かなり多くの日本兵がラムリー島から無事脱出できたのだそうです。
これはどういうことなのか?
あまりの惨劇に、作戦ミスを責められないよう隠蔽したんでしょうか?
どうやら、犠牲者の数は誇張されているようなのです。
1000人の死はありえない?
「犠牲者1000人」というのはイギリスの証言です。
元の部隊が約1000人規模で、捕らえたのが20人。
そこから「980人ほどがワニの餌食になった」と単純に考えた。
「イリエワニの湿地を越えられるわけがない」という思い込みもあったと思います。
また、イリエワニがいくら凶暴で、数多くいたとしても、一晩で1000人も平らげるとは思えません。
ワニが殺戮を目的に、次々と人を襲ったのならともかく、数が多すぎます。
伝説的な獣害事件「チャンパーワットの人食い虎」の犠牲者は500人足らず。
「アフリカの人食いナイルワニ・ギュスターブ」の犠牲者が推定300人。
これは数年に渡っての累計です。
ワニは大食漢ですが、無駄な採餌はしません。
ワニの襲撃で命を落とした兵士はいたでしょう。
食べられた人もいたはずです。
でも、その数はもっと少ないと考えられます。
真相は歪められている!
島には別な危険もありました。
ヘビやクモなどの毒虫。
こちらの被害者も少なくはなかった。
さらに、湿地で溺れた兵士もいたと思います。
疲れと空腹で、倒れ、置き去られた兵士もいたでしょう。
過酷な退却だったのは間違いありません。
それでも、ラムリーの島民は、日本に好意的でした。
占領されてはいても、「アジアの解放」を掲げる日本軍は、憎まれていなかった。
島民に助けられた兵士も多かったようです。
正確な数は不明ですが、最低でも500人ほどは無事で、日本に帰国できたらしい。
残りの500人も、すべてワニに襲われたのではないでしょう。
ほとんどは行軍の末に倒れ、無念にも戦地で命を落とした人。
ワニや毒虫に因る犠牲者は、数十人。
どんなに多くても、100人以下だった気がします。
ラムリー島事件の真偽は今も謎です。
ただ、海外でも「語られる話の信憑性は低い」というのが主流になりつつある。
ギネス記録にも「被害数は不確実」の注釈がついています。
きっと「イリエワニの大きさや攻撃的な生態」と、
「死を恐れない日本軍」のイメージが重なり、
相乗的な大参事のストーリーが作られたのじゃないでしょうか。
欧米的には「死地に飛び込み玉砕した愚かな日本人」といったプロパガンダの意味合いもあったかも。
戦時中の話は、複雑な理由で歪曲される傾向があるものです。
とはいえ、多くの英霊がラムリー島に散ったのは事実。
当時の日本軍が無謀だったことも否めません。
ラムリー島事件を教訓とすることも必要だと思うのです。
まとめ
ラムリー島の悲劇は、日本より欧米でよく知られているようです。
1000人もが一晩でワニの餌食になる。
内容もショッキングで、大戦中の伝説的事件といえます。
しかし、近年では疑問も続出。
イリエワニはそこまで凶暴じゃないし、日本軍だってそこまで無鉄砲じゃないでしょう。
ワニがいる地帯を迂回するなど考えていたと思います。
どうやら、ラムリー島事件は戦時都市伝説にすぎないようです。
コメント
ナショナルジオグラフィック チャンネル(スカパー) で放送された、邦題『ワニに襲われた日本軍』という番組内で、検証していました。
英国軍と日本軍、それぞれの戦争当時の記録を突き合わせ、現地取材の上で導き出された結論は、以下のとおり。
1、ワニは、普段は見掛けない。今もたまに、人への被害はある。
2、当時、川を渡る際に英国軍の攻撃で、日本兵に多くの死者が出た。
3、死者数は、双方の資料に差異はあるが、おそらく数百人レベル。
4、砲撃で、大勢の日本兵が死んだ。その翌日以降に、死体を嗅ぎ付けたワニが たくさん集まってきて、その肉を食べた。
以上が、確認された事実。
これだけでも、実に悲惨で、おぞましい出来事である。が、
これらが、誤り、誇張されて伝わったようだ。
またその誤報が、ギネスブックに掲載されたとこも、誤りを広めることに拍車をかけた。
番組では、編集部に報告書を提出し、ギネスブックは誤りを修正、改訂されている。