国民的童謡『赤とんぼ』歌詞の意味やトンボの種類を考察

赤とんぼの画像 節足動物

夕焼けと赤とんぼ。

これほど風景と生物が鉄板のセットになっているのも珍しい組み合わせです。

理由はやはり童謡の『赤とんぼ』

♪夕焼け小焼けの赤とんぼ~で始まる、日本でもっとも知られた童謡のひとつ。

郷愁を誘う唱歌。

大人になって聴くと、つい涙してしまうのですが……。

赤とんぼって何トンボだろう?

夕方にトンボ飛んでるか?

など、いらないことも考えてします。

で、今回は童謡『赤とんぼ』を考察。

何気に聴いていた歌にも、誤解や、意外な真実があるかもしれません。

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詩人・三木露風が伝えたかったもの

まず、「赤とんぼ」というトンボはいません。

赤く見えるトンボの総称が「赤とんぼ」なのです。

赤っぽいトンボですから、人によって枠は違います。

赤いトンボもいれば、オレンジ色のトンボもいる。

人によっては黄色、小麦色、茶色まで赤とんぼ認識されてしまう。

けっこう写実的な歌なのに、曖昧な歌でもあるのです。

「赤とんぼ」歌詞の意味

先ずは赤とんぼの歌詞を確認しましょう。

夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

作詞は「三木露風」。

大正から昭和にかけ、北原白秋と並び称され活躍した詩人。

一番から時系列に並んでいるようです。

一番は背負われて見た夕焼けと赤とんぼ。

背負われる年齢だから、2,3歳でしょうか。

2番は農作業の手伝いか、果実を摘むお手伝い。

10歳前後と思います。

3番の「姐や」は露風を子守していた女中さんのこと。

当時は子守り奉公する少女が普通にいて、母親代わりになっていました。

1番の露風を背負っていたのも姐やでしょう。

「お里の便り」とは、姐やが露風に出す手紙と解釈されています。

内容は意見が分かれ、
「単に姐やが自分の里のことを綴った手紙」
「姐やが知らせてくれる露風の里や家族の近況報告」
といった解釈。

なんにしても、手紙のやり取りをするくらいの年齢ですね。

それが絶えて久しい、青年期~大人がイメージされます。

そして4番。

竿にとまった赤とんぼを見て、1番から3番の過去を思い出している。

短い中に「成長」も表している。

それは露風の持っていた、ある種の「喪失感」なのかもしれないですね。

成長はいろいろなものを失うことでもある。

この流れが郷愁を誘うわけです。

つまり、1番は過去の赤とんぼで、4番が今現在の赤とんぼ。

これは同じ赤とんぼなのか?

歌の赤とんぼは何者なのでしょう?

さらに考えてみましょう。

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童謡の謎に迫る

三木露風は1889年(明治22年)、兵庫県龍野町(現・たつの市)で生まれました。

処女詩集『夏姫』を出したのは17歳のとき。

この年頃って、こっ恥ずかしいポエムを書いてみたくなるんですよね~。

誰にでもある黒歴史

でも露風は子供時代から才能があった。

若くして詩壇で輝くのです。

そして「赤とんぼ」が誕生します。

歌の舞台は兵庫と北海道?

「赤とんぼ」は1921年(大正10年)に書かれました。

冒頭は「夕焼け小焼けの“山の上” 負われてみたのは“まぼろしか”」だったそうです。

2番が「小篭に摘んだは“いつの日か”」だった。

後に「山の上」が「赤とんぼ」になり、1番と2番の末節が入れ替えられた。

改正後のほうが、風景を思いうかべやすい気がします。

1番の赤とんぼは、幼年時に「負われて見た」のだから、故郷の龍野町で見たものでしょう。

では、4番の赤とんぼは?

詩が書かれたとき、露風のいた場所です。

それは北海道上磯町(現・北斗市)。

上磯の「トラピスト修道院」で教師をしていたのです。

道産子の僕はこの修道院には行ったことがあります。

ソフトクリームが美味かった!

すると、竿の先の赤とんぼを見たのは北海道と考えられそう。

ちなみに、後に露風はクリスチャンとなり、バチカンから「聖騎士」の称号を与えられています。

本物のパラディン?(カッコいいぞ!)

北海道は生物相が本土とは異なるのですが、トンボはだいたい共通しています。

過去と現在のトンボが同種でも不思議はありません。

代表的な赤とんぼ

一般的に赤とんぼといえば「アキアカネ」のことです。

夏は山などにおり、このときは黄色っぽい。

成熟して腹部が赤くなり、低地に下りてきます。

鮭みたいなトンボだね。

秋口、このアキアカネが大量に飛ぶため、よく目立つのです。

また、タイリクアカネもよく見る赤とんぼです。

アキアカネとは羽の色合いや胸部の模様が違うのですが、見分けは難しい。

さらに「ナツアカネ」がいます。

こちらは初夏から晩秋まで低地で見られ、成熟すると胸部や顔(目)まで赤味を帯びます。

赤の勝負ならナツアカネが「シン・赤とんぼ」って気がします。

あと、「ウスバキトンボ」

黄色というか山吹色のトンボで、これを「赤とんぼ」という地域もあるらしい。

北海道では「夏に見るかな~」という印象があるんですが。

西日本は多いそうなので、1番のはコイツかもしれませんね。

歌の赤とんぼも、このうちのどれかでしょう。

土地ごとに多種の赤とんぼがいるため、決めつけはできないとしても、大ハズレはしないと思う。

特定する根拠はありませんが、秋の風物詩となっているアキアカネが、情緒的に「夕焼け小焼けの赤とんぼ」には合うかと。

まあ、歌では季節を特定していないので、春や真夏のトンボの可能性も否定できません。

どのトンボであれ、幼き日を思い返すトリガーの役割と考えればいいでしょう。

トンボは夕方飛ぶ?曲はパクリ?

夕焼けの画像

あまりにも似合いの「夕焼け」と「赤とんぼ」。

でも、トンボは基本「昼行性」です。

明るいときに餌を求めて飛び回り、暗くなったらどこかに隠れて休む生活。

だから、夕暮れの時分はあまり飛ばないものです。

露風が負われて見たのは、夕暮れまで残業していた居残りトンボだったのかもしれません。

あるいは、昼間に見た赤とんぼの群れが、空を赤くして夕焼けのように見えたとか。

もちろん、明暗の判断もトンボの勝手ですから、夕焼けまで頑張っていてもいいんですけど。

一説には、空を舞う赤とんぼが「ゼロ戦」や「空襲」の比喩で、戦争を歌った怖い歌だともいわれます。

これは詩の書かれた時代では考えにくい。

戦闘機が戦争の主役となり、空襲があったのは、主に第二次大戦の頃。

作詞は第一次大戦の直後なので、ヨーロッパならともかく、日本では飛行機すら珍しかったんじゃないでしょうか。

もうひとつ余談ですが、「赤とんぼ」は「山田耕筰(耕作)」の作曲。

これにはパクリ疑惑があります。

シューマンの『ピアノと管絃楽のための序奏と協奏的アレグロOp.134』に似ているというのです。

あかとんぼ シューマン序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134.wmv

……たしかに似ているような。

名曲は似通るということにしておきましょう。

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まとめ

歌を考察してみましたが、正解はないと思います。

人それぞれ、昔見た風景があり、時にそれが引き出される。

「赤とんぼ」は象徴に過ぎないのでしょう。

日本は古来「秋津州(あきつしま)」と呼ばれていました。

秋津とはトンボのこと。

つまりトンボの国。

トンボに親しんできたといえるでしょう。

トンボが飛んでいる光景は日本の原風景。

童謡「赤とんぼ」が愛されるのは、日本人のDNAにビビン!と刺さるのが理由かもしれない。

近頃は赤々とした夕焼けを見ることもなく、赤とんぼの数もずっと減った気がします。

歌が過去のものにならないでほしいと強く願ってしまうのです。

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