忠犬ハチ公は実話?美談の真実を考察

ハチ公の画像 ペット

再開発が進む日本屈指の繁華街「東京・渋谷」。

その渋谷に変わらず立ち続ける名所が「ハチ公像」です。

日本だけでなく、世界中の観光客が訪れる超有名なワンコですよ。

ハチ公といえば忠犬。

飼い主の死を知らず、ずっと待ち続けた。

その物語に涙した人も多いでしょう。

でも、美談には裏があるもの。

「ハチ公はそれほど忠犬でもなかった」という意見も。

それに対し、反論もあったりして、実際のところよくわからない。

ハチ公はどんな犬だったのか?

別な忠犬「タマ公」の物語も併せて紹介します。

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忠犬ハチ公の物語

「待ち合わせは渋谷のハチ公前で」

モバイルが普及した現代では少々古臭いかもしれませんが、
「渋谷駅前のハチ公像」は日本一有名な指定場所です。

昔、僕もハチ公前で待ち合わせしたことがあります。

当のハチ公の場所すらわからずにウロウロしてたんですが。

田舎者には渋谷はダンジョンすぎるんだもん……。

そんな僕でも知っているのが「ハチ公物語」

子供でも一度は聞いたことがある有名逸話ですが、おさらいしておきましょう。

ハチは大正12年に秋田で生まれた秋田犬です。

翌年、東京帝国大学(現・東京大学)農学部の教授・上野英三郎に譲られました。

ハチは教授によく懐き、
通勤に利用していた渋谷駅までよく送り迎えしていたほど。

上野教授の家は現在の「松濤」にありました

そんな暮らしが一年も続いたころ――

上野教授が仕事中、脳溢血で急死。

ハチも他所の家に預けられることに。

しかし、ハチはその後も渋谷駅周辺を徘徊するのです。

「亡くなった上野教授を待ち続けているのだ!」

やがて、噂が立ち始め、新聞にも取り上げられたハチ公。

渋谷の名物となります。

この話は海外にも紹介され、「いつまでも飼い主を忘れない忠犬」と大人気。

そして、教授が亡くなって10年。

ハチもまた、教授のいる天国へと旅立ったのです。

伝説的な犬だけあって、剥製も残っている。
あなたのハチ公イメージと符合しますかね?
僕はもっと茶色いと思ってました……。

忠犬ハチ公の剥製 国立科学博物館 Japan Tokyo Hachikō

人は物語に手を加える

僕は
「教授の死後、ハチは渋谷の駅前で物も食べずに帰らぬ人を待ち続け、後を追うように餓死した」
というふうに覚えていたんですが、10年も生きていたんですね。

改札前で息絶え、そこに雪がチラチラ降ってくる演出まで脳内でやってました。

このように、人は勝手な脚色をしがちです。

ハチが死んだのは3月ですが、遺骸が見つかったのは今の渋谷警察署の辺り。

像が立っている場所とは逆位置の、駅から少し離れたところ。

こうして見ると、「語られている美談」と「現実にあったこと」にはズレがありそうですね。

「ハチ公は餌をもらいに駅に行っていただけだ」

そんな意見もよく聞きます。

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ハチ公の真実

ハチの物語は、戦前の教科書にも載っていました。

「主を忘れず、忠節を尽くす」

ハチのエピソードは、軍国主義時代の教育に「使える話」だったのです。

ハチの銅像が最初に作られたのも、ハチが死ぬ1年前。

銅像って普通、死後に功績を称えて作られるものでしょう。

なんだか作られたブームの臭いがしませんか?

初代のハチ公像は戦争で失われ、
現在の像は二代目です

「待ち続けた」は犬好きの視点か?

上野教授の死後、ハチが渋谷駅周辺をうろついていたのはたしかです。

改札の前で待ち続けていたわけじゃない。

教授を待っていたというのは、人間の憶測にすぎません。

この頃のハチは、上野家に出入りしていた植木職人の家で飼われていました。

半分飼い犬で、半分野良犬みたいな生活。

渋谷駅では駅員に叩かれたり、眉毛を書かれたり、完全に野良犬扱いです。

人間が犬にやることは今も昔もあまり変わらないな……。

一方で「教授を今も待っているんだよ」という声もあった。

同情して、餌を与える人もけっこういたようです。

それを犬の研究家だった斎藤弘吉氏が新聞に投書。

掲載されて、「忠犬ハチ公」は有名になります。

しかし、犬の研究家となれば、犬寄りに考えるとしても不思議はない。

斎藤氏は南極に置き去られたタロとジロらを救おうと働きかけた筋金入りの愛犬家ですからね。

犬を美化するきらいはあったはずです。

そうやってできたのがハチ公物語。

とても美しい話です。

でも、ちょっとデキすぎな気もする。

「帰らぬ飼い主を待ち続けた?餌がもらえるから駅に行ってただけさ」

と、考える人がいるのも当然でしょう。

焼き鳥目当て説は本当か?

斎藤氏はもちろん反論しました。

ハチの記事が新聞に載ったのは、ハチの死の2年前。

餌がたくさんもらえるようになったのはその後から。

その前の7~8年間は、野良犬とむしろいじめられていた。

また、植木職人の家でもハチはちゃんと餌を与えられていました。

餌が目当てで10年も通い続けるわけがない、というのです。

ハチに訊くことはできないので、真実はわかりません。

僕個人はこう想像します。

ハチにとって渋谷駅は教授と通った「よく知る場所」だった。

慣れた町から離れるというのは、なかなかのストレスです。

だからハチは、飼われていても帰巣本能的に渋谷駅周辺に戻ってきてしまう。

ハチはよく屋台の焼き鳥をもらっていたそうです。

ハチを解剖すると、
胃に焼き鳥の串が数本入っていました。
(それが死因じゃないとのこと)

あの味は、自宅では味わえない。

奥さんが家でご飯を作って待っていても、
旦那さんはつい焼き鳥屋に寄ってしまうのと同じ。

飼い主から餌をもらえても、
焼き鳥ほしさで駅に行った可能性はあるでしょう。

それじゃ、上野教授を思い出しもしなかったのか?

それもないと思います。

渋谷駅はハチと教授の思い出の場所。

時々、昔を思い出して、
「ご主人様は帰ってこないのかな?」
と思うこともあったんじゃないでしょうか。

時には改札前に座り、教授を懐かしんだこともあるはず。

その様子が「忠誠心で待ち続けた」と見えただけで、
実際は「思い出のある渋谷駅に居ついた犬だった」と思うのです。

とにかく、ハチ公物語は日本を代表する美談として浸透していますし、世界的にも知られている。

真実などはどうでもいいことかもしれません。

ハチ公ほどではないですが、日本には「忠犬タマ公」というのもいます。

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もうひとつの忠犬タマ公

柴犬の画像

ハチ公が渋谷駅で人気犬になっていた頃。

新潟県に「タマ公」がいました。

ネコっぽい名前ですが、メスの越後柴犬です。

刈田さんという猟師に飼われていたのですが、
昭和9年と11年の二度、雪崩に巻き込まれた飼い主を助けました。

やはり、忠誠心が好まれる時代だったのでしょう。

タマの行動は大きく報道され、新潟だけでなく、なんとアメリカからも表彰されたのです。

アメリカは「英雄的」を好んだのかな。

タマ公は立派ですが、僕は2度も雪崩に巻き込まれる猟師の刈田さんのオッチョコチョイにビックリします。

猟師って山のプロなのでは……?

タマ公も銅像になっていて、新潟県内では新潟駅や五泉市の村松公園などで見られる他、神奈川県の横須賀市にもあります。

なんでも、海軍の誰かがタマ公に感動して横須賀に銅像を作り、その縁で新潟と交流があるからだそう。

人のために行動する犬は、琴線に触れるってことなんでしょう。

忠犬に限らず、犬の銅像はたくさんあります。

調べてみたら、ネコは意外と少ないんですよ。

ネコはドライで美談になりにくいからなのか。

独特のしなやかさが銅像にしにくいのか。

犬の銅像を作りたがる勢力でもあるのか。

理由は不明ですが……。

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まとめ

ハチ公のエピソードは誰でも知っています。

いつまでも主人を待ち続けた感動話。

僕はちょっと懐疑的に見ていますが、
美談にケチをつけるのも野暮というもの。

逸話とセットの銅像だから、愛されるのでしょう。

意味不明のモヤイ像よりは、出自が知られているハチ公像のほうが、渋谷の名物らしいですよね。

モヤイ像にも意味があるのかもしれないけど……。

忠犬の物語は心が洗われるのも事実。

忠誠じゃなくても、愛情は感じられます。

ハチ公もタマ公もずっと語り継がれていくに違いありません。

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