僕らの「人格」はどこにあるのでしょう?
正解はわかりませんが、「脳にある」というのが無難な答えですかね。
ということは、「脳をいじれば人格も変わる」。
まったくの別人に変えることも可能になります。
人格の改造。
倫理的に許されることではありません。
しかし、そんな悪魔の所業がかつては行われていました。
「ロボトミー手術」。
狂った実験ではなく、正当な医療行為として、多くの人の脳がいじられたのです。
患者は人格を失う。
ロボトミーが原因の殺人もあった。
ただ、一定の効果もあり、一時は医療の革命とも見られたのです。
それは「神の御業」だったのか、「悪魔の施術」だったのか?
現在も物議を醸す、ロボトミー手術を解説します。
狂ったメス!ロボトミー手術とは?
人体で最大のミステリーゾーン。
それは「脳」でしょう。
ある意味、僕らは「脳が本体」といってもいい。
「私は私、あなたはあなた」を決定づけているのはすべて脳です。
この謎の領域を、科学が目こぼしするわけがない。
古くから研究されてきたのは言うまでもありません。
前頭葉を切れば人はどうなる?
20世紀初頭。
精神病が深刻な問題でした。
急速な近代化で社会問題も増え、心を病む人も増加。
もともと精神病は目に見えない疾患です。
「狐憑き」のようにオカルト視され、「まじない」で治療するようなもの。
しかし、精神医学が発達するにつれ、普通の外科手術のように物理的な干渉を加えることで、どうにかなることもわかってきました。
その中で開発されたのがロボトミー(ロイコトミー)手術です。
ロボトミーは一言でいうと「前頭葉を切り離す」処置。
前頭葉は大脳の前方にある部分ですね。
感情と行動のコントロール、判断力、集中力、想像力、コミュニケーションを司ります。
そこを切り離すことで、患者が暴力的になったり、激しい感情変化を起こすのを、抑制できるというわけ。
統合失調症などの治療に多く用いられました。
その理論自体は19世紀にはありました。
チンパンジーで試したところ、乱暴的だった猿が、術後おとなしくなった。
それなら人間も……。
ということで、ポルトガルの医師エガス・モニスが、1935年に世界初のロボトミー手術を敢行。
その手術法がまた衝撃です。
怖すぎる手術方法
眼窩の隙間にアイスピックみたいな器具を入れる。
つまり、眼球の上部から道具を入れて、前頭葉を医者の「勘で」切り離す。
目ん玉にアイスピック突っ込まれて、脳ミソ切られるとか、想像しただけで貧血起こしそうです。
最初は頭部を切開していました
モニスが数十人を手術した結果……。
患者は落ち着き、効果があると見られた。
その後、欧米や日本で「精神病治療のゲームチェンジャー」として、ロボトミーは盛んに行われるようになります。
前頭葉の切除手術は以前にも行われていたのですが、モニスの研究が大きく貢献したということで、彼は1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞。
しかし、前頭葉は感情やコミュスキルに重要な部位。
言わば「人間性」を作る器官です。
そこを切り離されるのだから、患者は「心」を失うも同然。
心を失った患者はどうなるのでしょう?
なぜロボトミーをするのか?
表面上、患者はおとなしく、平和的にはなります。
でも、それは施術による「人格の抑制」でもある。
無気力、無感動、能力の低下、言語障害など、人間らしさが損なわれる害もありました。
ロボトミーは「人間の去勢」みたいなものなのです。
非人道的ですよね。
しかし、精神疾患の家族がいれば、苦労が多いのは今も昔も同じ。
現代では認識も高まり、容認されますが、昔はそうはいきません。
偏見、差別を受け、罹患者を幽閉し、世間の目から隠すことも普通でした。
心を失うデメリットより、おとなしくなるメリットが上回った。
問題を訴えた人もいましたが、ロボトミー以上に効果のある治療もなく、手術は40年以上に渡り、公的に行われました。
その間には悲劇も多かったようです。
ロボトミーがもたらしたもの
1979年(昭和54年)。
東京都小平市で二人の女性が命を奪われました。
『ロボトミー殺人事件』として、よく知られています。
日本で起きたロボトミー殺人事件
事件の犯人はスポーツライターの男「S」。
長野県で生まれ、真面目で、正義感が強かったといいます。
仲間のために喧嘩をしたり、勤め先の不正を正そうと社長に詰め寄ったり。
暴力、破壊行為を伴う場合も。
攻撃的なトラブルメーカーだったようです。
やがてSはスポーツライターで身を立てます。
それでも、暴力は減りません。
揉め事で警察のお世話になることもしょっちゅうです。
結果、「“精神病質”のため、精神科に入院」の措置。
「精神病質」というのは「性質がサイコパス」ということで、昔は強制的に入院させることができたのです。
現在は廃止されています
Sの正義感は、病院でも発揮されます。
親しくなった女性患者がロボトミー手術で人格が変わり、自殺したことに激昂。
抗議したことで「危険な患者」とされ、自分もロボトミーされてしまいます。
これが昭和39年のこと。
Sは退院するものの、働く意欲も減退。
てんかんなど後遺症にも悩まされ、不遇な生活を15年も送った昭和54年。
「ロボトミーの問題を世間に知らしめる」目的で、Sは執刀医の自宅へ押し入り、家にいた医師の妻と母親を拘束します。
医師がなかなか帰宅しないので、業を煮やして二人を殺害。
お金を奪って、逃走しました。
同情できる部分もありますが、やはり犯罪者の気質はあったんでしょう。
医師殺しに走るのは、問題提起を口実にした、直情的な復讐心だったに違いありません。
逮捕されて、判決は無期懲役。
ロボトミー手術は1970年代には禁じられていましたから、その悲劇が続いていることを思い起こさせる事件となったのです。
批判されるロボトミー
他にも、ロボトミーは悲劇を生み出しています。
J・F・ケネディの妹ローズマリーが、ロボトミーで廃人となり、長年家で幽閉されていたことはよく知られています。
ノーベル賞をもらったモニス自身も、執刀した患者に銃撃され、脊髄を損傷。
障がい者として晩年を過ごしました。
ロボトミーは長く批判にさらされます。
映画『カッコーの巣の上で』でも、主人公はロボトミーで無能者にされます。
反抗的な人間を、ロボトミーで扱いやすくすることは、40~70年代には普通に行われていたんですね。
患者の人権、尊厳、個性を踏みにじるロボトミー手術は、
「愚かな医学」
「悪魔の所業」
「人間への冒涜」
と、問題視しやすかった面もあるでしょう。
ロボトミーは徐々に行われなくなり、現在はその恐怖だけが語られているのです。
ロボトミーは間違いだったのか?
人を無気力にし、感情を奪い、人格まで変えてしまうロボトミー。
僕は「従順なロボットのようにするから」と思っていたんですが、
「葉を切る」というギリシャ語が由来だそうです。
でも、「ロボットのようにする」イメージで語られるのは事実。
実際はそこまでひどくないのですが、術後亡くなる人もいたし、回復しても腑抜けのようになる場合が多く、人道に外れるということで、現在は行われません。
いくら精神病でも、人格まで変えるのは乱暴すぎます。
しかし、こんな手術が「やむなし」の時代は最近まであったのです。
また、ロボトミーが画期的であったことも否定できません。
精神疾患は今も回復が難しい。
ほとんどは薬などで抑えながら、一生付き合ってゆくことに。
いつか、それらの病気が人権を無視しない外科治療で完治できるようになるでしょう。
その技術は、ロボトミーを進化させたものではないかと思うのです。
ロボトミーが「悪魔の手術」なのは確か。
それでも、新たな医療の先駆けであり、忘れてはならない教訓として、精神外科の発展に役立っているといえそうです。
まとめ
前頭葉を切れば、人はおとなしくなる。
精神病患者に対して、ロボトミー手術は救いになるはずでした。
しかし、人は別人のようになり、感情のない機械になり果てます。
その結果、一生を台無しにされる悲劇も多くあった。
現在もロボトミーは「負の歴史」とされています。
でも、脳に手を加えることで、精神病を根絶できれば、それは理想でもある。
ただ、害が出すぎました。
それらを克服しない限り、禁じるしかないでしょう。
ロボトミーは「早すぎた医学」だったのかもしれません。
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