死ぬまで踊れ!『ダンシングマニア』感染する謎の狂舞の真相は?

ダンスの画像 その他

ゲーセンのダンスゲームで、キレッキレに踊っている人。

「すごいなぁ」と感心しつつ、
「あまり近づきたくない」と思ったりしません?

なんだかちょっと怖い。

一人ゾーンに入っちゃってる感じ。

頭トリップしているみたいに見える。

そんな人が集団でいたら、怖さ倍増ですよね。

中世ヨーロッパでは、そんな事例が何度も起こりました。

『ダンシングマニア』と呼ばれる現象。

みんなで踊る楽しいイベントかな。

いや、全然違います。

一人が踊りだし、次々と参加者が増え、死ぬまで踊り続けるというもの。

「死の集団狂舞」「踊りのペスト」というほうが雰囲気伝わるかも。

人がなにかに憑かれたように踊りだし、大勢に感染してゆく!

奇病?悪魔の呪い?

原因は今もわかっていません。

まさに死の踊り!

中世のミステリー「ダンシングマニア」を解説しますよ。

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ダンシングマニアとは?

1518年、7月。

ストラスブール(現フランス・当時は神聖ローマ帝国領)の通りで、一人の女性が踊りだしました。

これだけなら「あら楽しそう」で終わる話。

ところが、女性は踊り続ける。

ひたすら踊る、踊る、踊る。

夜が更け、朝になり、また夜になっても。

そのダンスは数日も続けられたのです。

次々と感染?踊りのペスト

延々続く女性のダンス。

やがて、踊りに加わる人が現れた。

その数は、女性が踊りだして一週間で100人ほどに膨れ上がりました。

「いったい何が起こっているのか?」

通りはほとんど封鎖され、住民は途方に暮れるだけ。

そんな集団の中から、倒れ、命を落とす者も現れます。

しかし、狂ったような群舞は止まらない。

行政も手をこまねいていたわけじゃありません。

警官も止めようとしました。

それでも、踊る群衆は増え続ける。

医者の意見も聞き、出した解決策は「気が済むまで踊らせとけ」。

楽器の奏者まで連れてきて、「やれ踊れ」と煽ります。

火に油って気もするんですが……

そのせいなのか踊りの参加者?は増え続け、月は8月へ。

炎天下も加わり、一日10人以上の死者がでるほど。

その頃には、集団は400人規模になっていたのです。

この狂乱は始まりと同様、突然終わります。

9月になると、踊りはパタッと収束。

死者・負傷者は数え切れず。

疲れ倒れた者は荷車に乗せられ、家や教会で介抱されました。

街は元の静けさを取り戻したのです。

これが『ダンシングマニア』。

ストラスブールの「ダンスペスト」と呼ばれています

This Town Danced Itself to Death | Dark History

まとめると、

・一人が踊り、それを見た者が踊りに加わる。
・集団となり、長期間踊り続ける。
・死者が出ても、踊りはやめない。
・ある日、突然終わる。

まさに「踊りの感染症」です。

一度なら、単なる「バカ騒ぎ」で済む。

しかし、ストラスブールの事件が最初で最後ではありません。

多く残るダンシングマニアの記録

ダンシングマニアの事例は7世紀から見られます。

ストラスブールの件がもっとも有名。

他の大きな事例を挙げると

・1020年代のベルンブルク(ドイツ)
 18人の農民が教会の周りで歌い踊った。

・1247年エアフルトからアルンシュタット(ドイツ)
 子どもたちが飛び跳ねて踊りまくった。

・1278年マーストリヒト(オランダ)
 約200人が橋の上で踊り、橋が崩壊。多くが溺死。

・1374年ドイツ・フランス・オランダにまたがる地域
 ダンシングマニアが各地で発生。その後5年ほどの間に記録が多数ある。

・1536年バーゼル(スイス)
 子どもの集団が踊る。など……

「食事やトイレはどうしたんだろう?」

「収束後、踊った人から事情を聴かなかったのか?」

と思うんですが、そうした記録はあまりないようです。

とにかく17世紀以後は記録がなく、
現代も中世ヨーロッパに起こった謎の事件とされています。

次項では原因を探っていきましょう。

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ダンシングマニアの原因は?

死ぬまで踊り続けるダンシングマニア。

童話の『赤い靴』を思い出す人もいるでしょう。

異人さんに連れられていくのじゃないですよ。

“ひいじいさん”とか“いい爺さん”でもない

呪われた赤い靴をはいた少女が、脱ぐこともできず踊り続けるアンデルセン童話。

『赤い靴』は、意思に反して踊る病気がモチーフかもしれません。

勝手に踊りだす奇病がある?

少女は赤い靴が気に入り過ぎて、ろくにお祈りもしなかったから、罰が当たった。

でも、この世には「舞踏病」というのがあるのです。

ハンチントン病、ジストニア、アテトーゼ、パーキンソン病などでは、「舞踏運動」が見られます。

脳障害に因り、手足が勝手に不随意運動を起こすんです。

それが踊っているように見える。

2-1a. 錐体外路障害 不随意運動 舞踏病様運動(ハンチントン舞踏病)

自分の意思で止められない。

しかし、集団で起こる病気ではありません。

となると、別な病気でしょう。

ダンシングマニアについては、
「麦角(ばっかく)中毒症」という説があります。

麦に寄生する「麦角菌」が引き起こす病気。

症例は、手足が燃えるように熱く感じ、時には壊疽する。

痙攣や幻覚も起こります。

麦は中世ヨーロッパの主食ですから、中毒も多かった。

当時は地産地消なので、畑が麦角菌で汚染されると、その地域に集中して多くの発症者が出ることになるわけです。

集団中毒で、錯乱状態の人々が踊りだした。

手足が熱いと感じれば、熱い砂浜に立つように、ダンスっぽい動きにもなりそうです。

これなら筋は通る。

でも、麦角中毒は根絶してませんし、現代に起こらないのはおかしい。

大勢で集まる意味もありません。

「集団」にヒントがあるかもしれません。

貧困時代の集団ヒステリー

かつて日本でも、集団で踊るムーブメントがありました。

江戸時代末期に起こった「ええじゃないか」

大勢で「○○はええじゃないか」「△△はええじゃないか」と囃し立て、踊りながら町を練り歩く。

混乱期で不満が溜まっていた民衆の「憂さ晴らし」といわれます。

集団ヒステリーの一種。

今のデモとか、シュプレヒコールですね。

中世のヨーロッパも貧苦の時代。

民衆のストレスは溜まっていたでしょう。

そこで自然発生したのがダンシングマニア。

「俺たちを救え!」というヤケクソの抗議活動。

現代もデモ集団が、踊ったり楽器を慣らし、衆目を惹こうとします。

「お前らも活動に加われ」と、同調圧力を刺激する意味もありそうです。

「だけど、死ぬまでやるか?」という疑問も。

やや自己満足的な現代デモと違い、封建時代のデモは「お上に逆らう」命懸けだったとはいえ、犠牲が大きすぎる。

「死んでも構わん」の玉砕デモに、数百人も参加しますかね?

集団心理の暴走があったとしても、無理があるような。

宗教儀式と捉えるなら、命懸けも説明できそうですが。

宗教との関係は?

ダンシングマニアが、儀式だった可能性はあります。

踊りには霊的な意味があり、なにかの目的で大勢が参加した。

神に救いを求めるとか、貧者に冷たい王政を呪うとか。

土着の民間信仰の踊りだったとも考えられます。

要は「盆踊り」。

何かを願い、みんなで踊る。

やがてトランス状態になり、倒れるまで踊ってしまう。

信仰心が強かった時代の無垢な神事で、信心の薄れた近代になって見られなくなった。

これなら「死ぬほど熱心に踊り」、「17世紀にはなくなった」がわかる。

ダンシングマニアの真相と思われるのは上の3つ。

麦角中毒はもっともらしいですが、集団での踊りに繋がるとは思えず、ない気がします。

やはり、集団ヒステリーに近い印象がある。

ダンシングマニアには女性の参加が多かった記録があります。

女性は集団ヒステリーに飲まれやすい傾向があるのです。

僕が思い出すのは「ハロウィーン」です。

大勢が仮装して渋谷の街に集まるアレ。

秋の風物詩として定着していますね。

凝った仮装する人もいれば、ただの見物人もいる。

気分が高揚し、羽目を外す人もいれば、それを煽る人もいる。

あれも集団ヒステリーのひとつですよ。

集団になると、不思議と高揚する心理。

誰にでも覚えがあるでしょう。

それが昔は「踊り」の形をとって、現れただけではないかと思えます。

まあ、今も昔もやっていることは同じってことですね。

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まとめ

「死ぬまで踊る」「ダンスのペスト」。

ダンシングマニア現象は、おどろおどろしく語られることが多い。

僕らも童話『赤い靴』のように、呪いと考えがちです。

しかし、不満の爆発と見るほうが、しっくりする気がします。

それは、僕らも身に覚えがある「集団の暴走」。

魔女狩り、ええじゃないか、ハロウィーンや成人式のバカ騒ぎ。

SNSの炎上も、その類かもしれません。

同類が集まると、イケイケになっちゃう。

ダンシングマニアはそんな「人の性」で起こった暴動の一種ではないでしょうか。

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