「人食い」の動物といえば、なにを思い浮かべますか?
多くの人は「サメ」ではないでしょうか?
映画にサメが現れたら、間違いなく人食いです。
「少年とサメの友情」「全米が泣いた!」なんて映画、見たことないですもんね。
悲鳴をあげるスプラッター映画の常連がサメ。
だから、人食いのイメージが強いと思うんです。
そうしたイメージがパニックを引き起こしたのが、2001年にアメリカで起きたいわゆる「サメの夏」。
マスコミの過剰報道により、サメが徹底的に叩かれたのです。
現在のフェイクニュースにも通じるこの騒動と、その後について解説しますよ。
2001年「サメの夏」の始まりと真相
人食いザメ事件は日本でも起きますが、その数は決して多くはありません。
近年では、1992年に瀬戸内海で潜って漁をしていた男性が、ホホジロザメ(と思われる)に食い殺された事件。
1996年に沖縄宮古島でオオメジロザメが海中で作業していた男性を咬んで、死亡させた事件などがありますが、稀に起こる不運な出来事といえるでしょう。
日本でも人食いザメの危険はあります。
それでも、近海に人を襲う獰猛なサメが少ないこと、海水浴場などの安全管理がしっかりしていていることで、事件そのものは少ないほうです。
でも、外国では違います。
衝撃!少年が腕を食いちぎられた!
アメリカやオーストラリアはサメが多く、襲われる事件も珍しくありません。
2001年7月6日のことです。
ミシシッピ州からカリフォルニアのサンタローザ島に遊びに来ていた8歳の少年が、2mほどのオオメジロザメに襲われます。
メジロザメは獰猛で、海の浅瀬にも淡水の川にもいるという危険なサメです。
悲鳴に気づいた叔父が駆けつけ、サメを引き離して救助。
しかし、少年の腕はすでに食いちぎられており、サメがくわえていたのです。
海岸でサメを殺し、なんとか腕を取り戻す。
手術で繋ぐことはできたものの、失血によって脳や臓器の損傷も激しく、命はとりとめましたが、長期の治療を余儀なくされたのです。
後に「Summer of the Shark:サメの夏」と名付けられる騒動の始まりです。
恐怖の夏!サメの襲撃で被害続出!
当然、ニュースはマスコミの手で全米に報じられます。
サメの襲撃、叔父の勇気、奇跡的な少年の存命、難しい手術を成功させた医療チーム。
これだけで映画一本作れそうですよね
マスコミもより感動的なドラマに仕立てたことは容易に想像できます。
そしてやはり当然のように、このドラマの悪役サメが攻撃の対象となります。
少年が襲撃された後にも、
7月15日、少年が襲われた近くでサーファーが足を咬まれる。
7月16日、サンディエゴ沖でサーファーがサメに襲われる。
ロングアイランドでライフセーバーがオナガザメに咬まれる。
ハワイの漁師がイタチザメに追いかけられる。
……など
サメに襲われる事件が続発したこともあり、報道は完全にサメの敵側になって過熱していきました。
9月になっても2日に10歳の少年がバージニアで襲われ死亡。
翌日3日にノースカロライナでアベックが襲われ、彼氏が死亡し、彼女は片足を失います。
この間、メディアはせっせとサメを悪魔のように叩きました。
それはあまりにヒステリックでした。
アメリカ中が「サメを殺せ!」と大合唱。
これだけ事件が起こったのだから「もっともだ」と思います。
しかし、アメリカでは毎年これくらいのサメ事件は普通に起こるのです。
事故は少ない?かき消された反論
メディアの中には熱狂的に過ぎるサメ報道に疑問を投げかけるものもありました。
前年の2000年に起きたサメ襲撃事件は全米で79件。
日本では想像しにくいですが、毎年アメリカでは50~70のサメ事件があるのです。
2001年の夏に報じられたサメ事件は50弱。
特別多かったわけでもない。
名門雑誌TIMEも「マスコミが大騒ぎするほどサメ事件は多くない」と論評しています。
サメの専門家も「サメは間違って人間を襲うのだ。サメの数は減っている」と擁護。
それでもサメに対する風当たりは悪化の一方。
「サメは100%害悪で、駆除するものだ」という意見に異を唱える苦言など聞く耳持たないの風潮です。
サメが減っていたためにされていた保護活動に支障をきたしたのは言うまでもありません。
「敵であるサメを保護するとはけしからん」というわけですね。
マスコミが扇動することで、多大な風評被害を与える典型です。
日本人は同調圧力に弱く、みんなが同じことをする傾向が強いですけど、個人主義のアメリカでもこんなふうになるとは驚きですよ。
どうしてこんなことになったのか、次項で考えてみましょう。
なぜメディアはサメを敵視したのか?
「サメの夏」はマスコミの悪例として記憶されています。
幼い子供がサメに襲われ、奇跡的に一命をとりとめた。
俗受けするニュースであったことで、大手のマスコミ社も大々的に取り上げたわけです。
当時のアメリカは景気に不安がありました。
いわゆるITバブルが減速し、インフレせずに経済が成長する自慢のニューエコノミーに陰りが見え始めた。
絶望的なところからの救出劇は、「好況もまだ終わらない」と励みになったでしょう。
ありがちな「勇気をもらった」ってやつですね
サメ事件はそんな不安を棚上げできる話題という理由もあったかもしれません。
さらに、そのニュースは「怒り」を煽るものでした。
怒りの感情はもっとも扇動しやすいといわれます。
これがクマやオオカミであったら、ここまで叩かれなかったとも思えます。
魚類のサメは感情に乏しく、可愛いところがありません。
まさに「憎たらしい敵」だったんですね。
殺処分するにも哺乳類よりは罪悪感が薄いでしょう。
その後他のサメ事件もあって報道が過熱し、まるで多くのサメが例年以上にアメリカを攻撃しているような錯覚を起こさせた「サメの夏」という熱狂を引き起こしたのではないでしょうか?
新たな敵の登場で「サメの夏」も終わる
サメの夏は9月半ばになると終わります。
収束したのではなく、サメ以上の敵が現れたからです。
2001年9月11日――
アメリカ同時多発テロ事件が起こり、サメどころではなくなったんですね。
その後、全米でアラブ系の住民が敵視され、弾圧の目に遭います。
今で言うヘイトクライムですね。
不謹慎になるかもしれませんが、サメの夏と似ていると僕には思えます。
最初に被害が出て、加害者が敵と認識される。
敵に対して攻撃的な振る舞いが容認される。
「ちょっと待てよ」という意見は排除され、怒りによる一体感が発生する。
こうした事例は古今東西とても多く、「人間という動物」の生態といえるでしょう。
実際、マスコミへの信頼は年々低下していますが、「サメの夏」の影響もあるかもしれないですね。
まとめ
マスコミの煽りと、大衆の心理が引き起こした「サメの夏」騒動は、逆にサメへの理解を深めるきっかけになったと見る向きもあります。
現在ではサメの保護が世界各地で行われています。
もちろん、サメによる被害もあるのでバランスは大事ですが、「サメが極悪」といったイメージはだいぶ改善されているのではないでしょうか?
サメは恐竜の時代から、今とほとんど変わらぬ姿で生きていました。
現れた時点で進化する必要がなかった完全な生物。
こんな完成された生物は、僕はサメとトンボくらいだと思っています。
憎みあわず、サメも人間も楽しく泳げる海であってほしいものですね。
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