鬼とは何か?その正体を探ると「人間」が見えてくる!

鬼の画像 その他

露出の多い妖怪といえば、『鬼』でしょう。

生物というより、象徴的な意味合いで用いられることもあり、その正体を特定するのは大変です。

(……あ、鬼滅ブームに便乗したなと勘を働かすのはやめてくださいね)

妖怪といっても、鬼は文化に根づき、姿を変えるのが特徴。

恐怖そのものであったり、鬼気迫る人間であったり、かくれんぼや節分の敵役に甘んじたり。

使い倒されている感もある。

でも、鬼についてじっくり考えることは少ない。

鬼を考察すると、いろいろなことが見えてきます。

古代日本の姿や、人間とは何かということが。

鬼は、鏡に映った自分自身なのかもしれません。

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「恐怖」という鬼

「鬼」はよく見る字です。

生物界にも「オニヤンマ」「オニイトマキエイ(マンタ)」「オニユリ」など。

「大きいもの」「怖いもの」「強いもの」の枕詞ですね。

歴史で見ると、「物理的な鬼」「象徴的な鬼」がいるようです。

鬼は無形の「もの」?

鬼の語源は「隠(おん)」という説がある。

これは「山奥に隠れ棲む」と、「見えない恐怖」の2つの意味があります。

後者が「象徴的な鬼」です。

元々、鬼は「災い」の意味があった。

自然災害や疫病の流行など、人智の及ばぬ恐怖を鬼と表現した。

事実、平安時代には「鬼」を「もの」と読んでいました。

無形の恐怖、厄災、不運だから「もの」。

でも、僕らは鬼の姿をよく知っています。

角、天パー、牙、手には金棒、10年はいても破れないというトラ柄のパンツ。

臭いも強そうなパンツです

これらは空想のテンプレートだとしても、実体のある鬼も存在する。

「象徴的な鬼」を具現化しただけなのか?

鬼、または鬼とされた生物はいなかったのか?

生き物サイトとしては、どうしても気になる。

鬼を未確認生物(UMA)と捉えることはできないでしょうか?

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鬼の正体は異形の人間

実在の鬼が登場するのは平安時代の後期です。

京都大江山の酒呑童子が有名ですよね。

身長が6mもあったという大鬼と言い伝えられている。

鬼は「大人(おおびと)」が語源という説もあります。

とすれば、鬼は「大きい人間」「大きな集団」と想像できます。

鬼にされた山の民

鬼の正体と目されているのが、鉱山技師や盗賊団、白人など。

里から離れた山奥の鉱山で働く肉体労働者。

山を根城にして、悪逆を尽くす犯罪者たち。

日本に流れ着いた、大柄でたくましく、風貌の変わった外国人。

たしかに、鬼伝説になりそうです。

山暮らしなら、髪もヒゲも伸び放題でしょうし、パンツ一丁でいてもおかしくない。

ちなみに、トラ柄は鬼門の方向が丑寅(北東)だからですよ。

山の異端者たちを、伝承の鬼に当てはめた。

古代日本、里の住人から見たら、文化の遅れた山住みの荒くれ者は、害をなす存在だったでしょう。

この推測でほぼ正解だと思います。

しかし、大きな人間……つまり、巨人もいたのかもしれません。

巨人の存在

巨人伝説は世界各地に見られます。

だいたいは身長3mから7、8mのようです。

今もたまに「巨人の骨発見!」とオカルトニュースになりますが、それらはガセ、作り物。

発見のニュースがあっても、きちんと調査されたとか、博物館に収められたといった続報はひとつもないのです。

でも、巨人はいます。

例えば、南米にいた身長4m前後のパタゴン。

「パタゴニア」の語源です

パタゴン族は平均身長が2m近くあって、探検隊を驚かせました。

その噂がヨーロッパで4mに盛られて、数百年も信じられていたそうです。

文字通り「話半分」。

2mレベルならスポーツ選手にもいる。

情報の乏しかった時代なら、じゅうぶん巨人と見られたでしょう。

また、ホルモンの異常で起こる「巨人症」もあります。

平均より大きな人は、どこででも生まれる。

日本ではそんな巨人が「鬼」にされた可能性もあるでしょう。

角のある人間はいるか?

鬼の最大の特徴「角」。

動物の角も神聖視されることがありますね。

角は武器であり、強さのシンボルでもある。

また、獣の属性をイメージする場合もあるでしょう。

角は「神的」「非人間的」の発現。

半神で半獣なのが鬼と解釈できます。

実は、人間にも角が生える。

骨の腫瘍や角質の異常で、その部分が盛り上がってしまうことがあるのです。

これも鬼伝説の基らしい。

角があれば、畏れの対象となったはずです。

こうして見ると、鬼の正体はただの人。

「戦っていた鬼(敵)が、実は人間だった」
というのは漫画でよく見るパターンですが、
現実の鬼も結局は人間ということなのでしょう。

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心の闇が鬼を生む!

鬼という生物はいません。

それでも、僕らは鬼を身近に感じます。

まるで鬼を見知っているかのように。

もちろん、漫画や行事でお馴染な鬼は思い浮かべやすい。

でも、鬼が自分の一部だからなのかもしれません。

負の感情そのものが鬼

自分自身の「鬼の部分」は誰でも感じると思います。

例えば、凶悪な犯罪者に対して「こんな奴は死刑にしてしまえ」と思ったり。

他者の死を望むような感情が湧くことってありませんか?

それが「心に潜む鬼」。

「ダークサイド」です。

怒り、妬み、憎しみ、嫌悪といった負の感情。

持った経験のない人はいません。

それらが膨大すると、比喩的に「人が鬼になる」のでしょう。

しかし、鬼になる人は多くありません。

たいていは自分なりに抑止して、心の鬼を封じています。

人として超えてはならない一線ですからね。

内面の鬼を感じながら、正しい人間であろうとするバランスが「鬼滅」という行為ともいえるかな。

僕らはみんな鬼殺隊なのだ。

やっぱり便乗じゃねーか!

心の鬼を抑えるコツ

ダークサイドに陥りやすい人は、ストレスをため込む傾向がある。

  • 責任感が強い。
  • 八方美人。
  • 自分の能力以上に無理をする。
  • 周囲の目が気になる。
  • つまらない嘘をつく。
  • 経済的に余裕がない。
  • 政治・宗教への理念が強すぎる。

こういったタイプ。

これは鬼が暗躍した封建時代だけではなく、現代社会にもあること。

むしろ、現代のほうが「我慢」を強いられるかもしれません。

心中の鬼を育てないためには、

・上手にストレスを発散する

・無理をせず、自分らしく生きる

・自分を卑下しない

ことでしょう。

日輪刀とか振り回さなくても、鬼は抑えられます。

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まとめ

鬼の考察を簡単にしてきました。

最初の鬼は「恐怖の象徴」。

やがて具現化され、山の民や病気の人間が同化されていった。

節分の鬼、なまはげなどのイメージが定着したのでしょう。

でも、鬼は人が持っている闇の部分でもある。

残忍な「獣の部分」といってもいいかな。

本能だけで生きられない人間は、理性で鬼を抑える試練を与えられた唯一の動物ともいえます。

桃太郎から鬼滅の刃まで、鬼退治は日本でウケるコンテンツ。

日本人はそれだけストレス多いってことでしょうか。

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