【生物季節観測】気象庁が一部廃止!本当に観測は必要ないのか?

傘の画像 その他

天気予報と生き物は切っても切れない関係です。

動植物は自然のカレンダー。

「桜が開花しました」

「セミが鳴きだしました」

と天気予報に挟み、季節を感じてもらうのが定番です。

これは『生物季節観測』といって、気象庁が調べているのですが、2021年から大幅に縮小されるのだそうです。

季節感があって良かったと思うんだけど。

どうして気象庁はやめちゃうんでしょう?

動物の天気予報は、諺にもなっているし、けっこう当たるのに。

縮小の理由は、現在地球を悩ます問題のためらしいのですが……。

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天気予報と生物観測の関係

『生物季節学』は立派な学問です。

英語ではフェノロジー(Phenology)といい、世界中で行われています。

まだ暦のなかった時代――。

気象に左右される農業などは、自然の生き物たちの変化から「時」を教えてもらいました。

植物の芽吹きや開花、虫や鳥の出現で、タイミングを知ったのです。

それを体系化したのが生物季節学

気象学でもあり、天気予報には不可欠な情報でした。

だから、生物季節観測が必要なんです。

歴史は古い!

日本の生物季節観測

日本の気象庁でも、多くの動植物を観測しています。

植物
桜、紅葉、イチョウ、リンゴ、チューリップ、
タンポポ、椿、栗、桃、サザンカなど全34種

動物
アキアカネ(赤とんぼ)、ウグイス、ツバメ、
カッコウ、ホタル、セミ各種、モンシロチョウ、
トノサマガエルなど全23種

開花、初見、初鳴きを、職員が自分の目と耳で確認する。

少々、主観的で頼りない気もするけど、
それらを記録し、過去のデータと比較して、気象の傾向を読み解くわけです。

決して「小さい秋見つけた」みたいな近況報告じゃありません。

この観測が大きく減らされると発表されたのが2020年11月10日。

生物季節観測が縮小されるのはなぜなのでしょう?

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「生物がいない」は理由にならない!

2021年以降も残るのは、たった6種。

桜の開花と満開、紅葉・イチョウの開花と落葉、梅・ススキ・アジサイの開花だけ。

動物に至っては全廃です。

気象庁曰く

「対象を見つけることが難しくなっている」

「観測にばらつきがあり、長期変化の参考にしにくくなった」

のだとか。

要するに、都市化で動植物が減少したから。

植物は標本木を気象台の敷地に置けますが、動物はどこで遭遇するか運次第。

でも、そんなに大変なことでしょうか。

都会にも生き物が集まる公園はあるし、セミなんか聞きたくもないのにミンミンシャーシャー鳴いているのに。

他に理由があるような気もする。

天気予報に生き物ネタはムダ?

天気予報って番組の1コーナーですよね。

3時間特番天気予報とかありません。

短いながらも、天気予報が伝える情報は意外と多い。

普段は今日の天気・気温と、一週間先の予想。

風向き、気圧配置に、台風の発生と進路予想。

災害が起きそうな場合は、注意喚起もします。

これらは生活、防災に欠かせない。

その点、「ウグイスが鳴きました。春ですね~」みたいな生物季節観測は、小ネタに過ぎません。

また、それは視聴者が勝手に感じていることでもある。

別に気象庁のお墨付きがなくても、人は季節感を自分の肌で感じています。

そんな季節感の情報も映像も、SNSに山ほど投稿されている。

天気予報で力を入れることもないのかな……と。

働き方改革の昨今、無駄なことに人員は割かない風潮もある。

しかし、生物季節観測自体が必要という声もあります。

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天気の諺はデータ蓄積の結果

桜の画像

古くから伝えられる、生き物と天候の関係性。

・ネコが朝に顔を洗うと「晴れ」

・クモの巣に朝露は「晴れ」

・アリが巣に蓋をすると「雨」

・ツバメが低く飛ぶと「雨」

・カマキリが高い場所に産卵する年は「雪が多い」

といった諺、格言、言い伝えは多いものです。

これがけっこう当たる!

感度の鋭い生き物たちは、小さな変化を感じ取り、それが行動に現れるのでしょう。

人は鈍感ですが、知恵があります。

普段の生活の中で、生き物を観察し、因果関係を導き出す。

その経験則が諺なのです。

天気予報のない時代。

生き物を見ることは、とても重要でした。

もちろん、科学的な根拠はなかったと思います。

ただ、膨大なデータをきちんと記憶しておき、生活の知恵にしたのです。

これがなんかカッコいい!

生き物や星から気象を予想する軍師みたい。

晴天の空を見上げて、「雨になるぜ」とか予想できる人は、自然の理を知る賢者のように感じるんですよ。

日本らしい情緒を守りたい!

もちろん、生物季節観測はなくなりません。

気象庁が減らすというだけで、学問はあり続けます。

でも、気象庁が続ける意味もあると思います。

数が減って珍しくなった生き物は仕方ないとしても、観測できるものはなくすべきではありません。

今は衛星写真で予報確率も上がっているでしょう。

しかし、観測してきた動植物は、昔から日本で馴染まれてきたもので、文化の一部となっています。

そうした生き物に、季節の流れを感じるのも日本人の感性。

「もののあはれ」というか、すべてに対して感受性が強い。

日本人は特に、自然との親和性が高い気がする。

衛星写真のグローバル視点もいいですが、身近に感じる季節感も失ってほしくない。

毎日見る天気予報。

事務的に予報を伝えるだけでも用は足りるのでしょうが、
季節ネタをチラッと入れてくれれば、日本の情緒が継承されていくんじゃないか。

僕はそう思うのです。

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まとめ

天気予報は大切な情報です。

スケジュール決定にも防災にも不可欠。

お天気お姉さんにも癒されますし。

そんな天気予報に、季節の移ろいを感じる動植物の話題があれば尚いいと思う。

長年のデータも、必ず予報の一助となるはずです。

小さな虫や花から教えられることはたくさんある。

気象は自然科学。

生き物と切り離すことはできないんじゃないでしょうか。

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